おみやげ
2005年 02月 21日
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イランから日本へ一時帰国をする、あるいは帰国をするというと、とんでもない量のおみやげを渡されてしまいます。
おみやげを渡してくれるその気持ちは大変に嬉しいのですが、こちらの事情を考慮していないおみやげの渡し方には当惑をしないではいられません。
とにかく、量とかさが多い。こちらの好みなどは考慮の外。
こちらに対する好意からおみやげをくれるのだからと、それを不満に思わないようにしたいと思うのですが、それでもやはりちょっと困ってしまうこともしばしばです。
そして、こちらに対するおみやげと同時に、日本にいる親戚や友人へ持っていって欲しいと、これもまたとんでもない量のおみやげを渡されてしまうことも多いです。
私は日本にもイランにも生活の拠点があるので、荷物らしい荷物もありませんから受け取った分を日本へ持って帰ることもできますが、旅行などのためにイランに来た人の中には、荷物が入り切らなくなってしまい、鞄を慌てて買ったり、空港でかなりの額の超過料金を取られてしまう人もかなりいます。
こういう迷惑と紙一重の好意というのは、それが好意であるだけに難しいものがあります。
日本に住む家族などへはともかく、我々にはそのやさしい気持ちが最大のおみやげなのだということを分かってもらいたいなあと思わずにいられません。
おみやげを渡してくれるその気持ちは大変に嬉しいのですが、こちらの事情を考慮していないおみやげの渡し方には当惑をしないではいられません。
とにかく、量とかさが多い。こちらの好みなどは考慮の外。
こちらに対する好意からおみやげをくれるのだからと、それを不満に思わないようにしたいと思うのですが、それでもやはりちょっと困ってしまうこともしばしばです。
そして、こちらに対するおみやげと同時に、日本にいる親戚や友人へ持っていって欲しいと、これもまたとんでもない量のおみやげを渡されてしまうことも多いです。
私は日本にもイランにも生活の拠点があるので、荷物らしい荷物もありませんから受け取った分を日本へ持って帰ることもできますが、旅行などのためにイランに来た人の中には、荷物が入り切らなくなってしまい、鞄を慌てて買ったり、空港でかなりの額の超過料金を取られてしまう人もかなりいます。
こういう迷惑と紙一重の好意というのは、それが好意であるだけに難しいものがあります。
日本に住む家族などへはともかく、我々にはそのやさしい気持ちが最大のおみやげなのだということを分かってもらいたいなあと思わずにいられません。
by sarasarajp
| 2005-02-21 23:00
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